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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10470号 判決 1996年3月27日

原告

甲野太郎

甲野春子

右両名訴訟代理人弁護士

小笠豊

武井康年

被告

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

被告

浦野晴美

右両名訴訟代理人弁護士

秋葉信幸

熊本典道

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、連帯して原告らに対し、それぞれ五八〇万円及びこれに対する昭和六三年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  原告らは、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)の妻である原告甲野春子(以下「原告春子」という。)が被告日本赤十字社(以下「被告日赤」という。)が運営する日本赤十字社医療センター(以下「日赤医療センター」という。)産婦人科において流産したことについて、原告春子を診察した被告浦野晴美(以下「被告浦野」という。)や日赤医療センターの担当医師、原告春子の第一子の出産を担当した日赤医療センターの医師らに原告春子の子宮頸管無力症(以下「頸管無力症」という。)を見逃した過失等があるとして、被告らに対し、原告両名との診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償(慰謝料及び弁護士費用)をそれぞれ請求している。

1  慰謝料

原告春子 五〇〇万円

原告太郎 五〇〇万円

2  弁護士費用

原告春子 八〇万円

原告太郎 八〇万円

二  争いのない事実等

1  被告日赤は日赤医療センターを開設し医療業務を営む者、被告浦野は日赤医療センター産婦人科に勤務する医師であった。原告太郎と原告春子は夫婦であり、原告春子は日赤医療センター産婦人科において昭和六三年一二月一七日(以下同年については年の記載を省略する。)二回目に妊娠した子(以下「第二子」といい、その妊娠を「本件妊娠」という。)を流産した。

原告春子と被告日赤は、本件妊娠のため日赤医療センター産婦人科において診察を受けるに際し、産婦人科を有する総合病院として最善の注意義務を尽くして妊娠の管理をする旨の医療契約を締結した。

2  原告春子は第一子を妊娠した際、昭和六〇年一〇月二二日(妊娠三〇週)に子宮頸管(以下単に「頸管」ということがある。)が三センチメートル開大していたため日赤医療センターに切迫早産で入院し、同年一一月四日退院した。

原告春子は、同年一二月一五日午前八時三五分日赤医療センターに入院し、同日午前九時三三分男児(第一子)を分娩し(予定日は一二月二六日)、同月二二日退院した。

右切迫早産及び分娩の各入院の際のカルテや退院許可証にはいずれも「頸管無力症」の記載はない。

(乙一、七の13)

3  原告春子は、九月一日日赤医療センターにおいて被告浦野の診察を受け、妊娠六週、分娩予定日昭和六四年(平成元年)四月二二日と診断された。

原告春子は、九月二九日被告浦野に二回目の診察を受け、内診及び超音波検査を受けた。

原告春子は、一〇月二七日三回目の診察を受けた際、被告浦野に対し、前回の第一子出産のとき切迫早産で入院したことを話したが、被告浦野は内診をしなかった。

被告浦野は、一一月二五日(妊娠一八週)原告春子の四回目の診察を行い、内診はせず、次の診察予定日は一二月一五日になっていた。

4  原告春子は、一二月一三日淡血性分泌物(おりもの。以下「淡血性おりもの」という。)があったので、同月一四日朝日赤医療センターを受診したところ、内診により頸管が四センチメートル開大し胎胞が突出していることが判明した。

5  一二月一四日に原告春子を診察した千歳和哉(以下「千歳医師」という。)ら日赤医療センターの医師は、同日ころ原告太郎に対し、胎胞が膣内に出ているから子宮頸管縫縮術(以下「頸管縫縮術」という。)は成功が難しく、膣内に胎胞が出た以上細菌に感染していると思わなければならない旨の説明をした。

原告春子は、頸管縫縮術を受けないまま経過観察されていたところ、一二月一七日流産した。

三  主要な争点

1  第一子切迫早産入院の際のカルテ記載義務違反

(原告らの主張)

(一) 原告春子が昭和六〇年一〇月二二日切迫早産で入院し同年一一月四日退院した際、原告春子は入院中陣痛・子宮収縮を自覚しないのに頸管が三〜四センチメートルにも開大してきたことがあることから、日赤医療センター産婦人科担当の雨森良彦医師(以下「雨森医師」という。)らは、原告春子について頸管無力症の診断をつけるかその疑いを持ち、カルテや退院許可証にその旨記載すべき義務があったのに、これを怠った過失がある。

右記載があれば、原告春子は、本件妊娠において妊娠一四週から一八週までの間にシロッカー頸管縫縮術(以下「シロッカー術」という。)やマクドナルド頸管縫縮術(以下「マクドナルド術」という。)を受けることにより、無事に出産できた。

(二) 被告らは、第一子妊娠中の切迫早産が外科的治療や子宮収縮抑制剤投与をしないで安静のみにより軽快し満期産であったことを根拠として、頸管無力症の疑いを否定するが、外科的治療や子宮収縮抑制剤投与をしなくても早流産に至らず満期産になることもあり得るから、右疑いは維持されるべきである。特に、胎児が大きくなっているときは、外科的治療や子宮収縮抑制剤投与をしなくても早流産に至らず満期産になることもあり得るとされている。

(被告らの主張)

原告春子は、第一子妊娠中に切迫早産で入院した際、外科的治療や子宮収縮抑制剤投与をせず、シャワー・トイレ可という軽度の安静のみで約二週間で軽快して退院し、その後満期産であったのであるから、頸管無力症を疑うべき兆候はない。

2  第一子分娩の際のカルテ記載義務違反

(原告らの主張)

(一) 原告春子が昭和六〇年一二月二二日に第一子を出産して退院した際、日赤医療センター産婦人科担当の照内医師は、妊娠八か月(三〇週)に頸管が三センチメートル開大したため切迫早産で入院したこと、原告春子の分娩時間が一時間三三分と短く、子宮口全開大まで無自覚的に経過していきなり二分間歇の強い陣痛を自覚したという経緯から、頸管無力症の診断をつけるかその疑いを持ち、カルテや退院許可証にその旨記載すべき義務があったのに、これを怠った過失がある。

右記載があれば、原告春子は、本件妊娠において妊娠一四週から一八週までの間に頸管縫縮術を受け、無事に出産できた。

(二) 前記1の原告らの主張(二)と同じ。

(被告らの主張)

(一) 前記1の被告らの主張と同じ。

(二) 分娩時間の短さは頸管無力症と関連性はない。なお、第一子分娩は所要時間第一期、第二期一時間三三分との記載があるが、(乙八の8頁)、これは第二期(二分間歇の陣痛)の開始時期を第一期(一〇分間歇の陣痛)の開始時期としているところ、第二期が一時間三〇分というのは標準的である。

3  一〇月二七日以降の頻回内診義務違反

(原告らの主張)

(一) 原告春子が被告浦野に対し、一〇月二七日の検診で前回出産の経緯(妊娠八か月で子宮口が三センチメートル開いていたため切迫早産で入院したこと)を話した際、又は次回検診の一一月二五日の際、被告浦野は、原告春子に第一子妊娠中の切迫早産や出産時の様子について問診し、カルテを検討して、前記1、2の原告らの主張のとおり、第一子の切迫早産や出産の経過から頸管無力症を疑い、以後一週間に一回の割合で内診すべきであったのに、これを怠った過失がある。

一〇月二七日以降一週間に一回の割合で内診を行っていたら、頸管の軟化・短縮傾向や内子宮口の開大等から頸管無力症を確定診断でき、原告春子は頸管縫縮術を受け流産することなく無事に出産できた。

(二) 仮に頻回な内診によっても頸管無力症の発見が困難であったとしても、本来なすべき義務を怠った医師には過失を認定し、慰謝料の支払を命じるべきである。

(被告らの主張)

(一) 原告春子の第一子出産の経緯は、前記1、2で主張したとおり、頸管無力症を疑うべき場合ではない。

なお、妊婦の検診は妊娠二八週までは一か月に一回又は四週間に一回とするのが通例である。また、内診は妊娠初期に妊娠の診断や異常の有無の診断のため行うが、三五週までの間は特に異常がなければ行う必要はないとされている。

(二) また、仮に一週間に一回の割合で内診したとしても、頸管の軟化・短縮、内子宮口開大は急速に起きるから、手遅れになる前に頸管無力症を発見することはできなかった。

4  一〇月二七日から一一月二五日ころまでの間の選択的頸管縫縮術実施義務違反

(原告らの主張)

被告浦野は、一〇月二七日から一一月二五日ころまでの間、原告春子の不安の訴えと第一子の切迫早産や出産の経過から頸管無力症を疑い、予防的選択的頸管縫縮術を実施すべきであったのに、これを実施しなかった過失がある。

一一月二五日までに予防的選択的頸管縫縮術を実施していれば無事出産できた可能性が高い。

(被告らの主張)

原告春子の第一子出産の経緯は、前記1、2で主張したとおり、頸管無力症を疑うべき場合ではない。

5  一〇月二七日又は一一月二五日の原告春子への警告義務違反

(原告らの主張)

原告春子が一〇月二七日に前回出産の経緯を話した際、又は次回検診の一一月二五日の際、被告浦野は、更に原告春子を問診するなどして頸管無力症を疑い、原告春子に対し、頸管無力症の疑いのあることを告げ、出血などの異常があった場合には直ちに連絡して受診するよう指導助言すべき義務があったのに、これを怠った過失がある。

一二月一三日の夕方原告春子に淡血性おりものがあった時に直ちに受診し内診を受けていれば、原告春子が頸管無力症であることが判明し、同日直ちに頸管縫縮術を受けて流産は避けられ、無事に出産できた。

(被告らの主張)

原告春子の第一子出産の経緯は、前記1、2で主張したとおり、頸管無力症を疑うべき場合ではない。

出血などの異常があるとき医師に相談すべきことは、母子手帳にも記載してあり、初産婦には注意するが、経産婦には改めて注意しなくても分かることである。

6  一二月一四日の頸管縫縮術実施義務違反

(原告らの主張)

日赤医療センター産婦人科担当の福田、千歳医師らは、一二月一四日原告春子に対し頸管縫縮術をすれば無事に出産できたにもかかわらず、頸管縫縮術を実施しなかった。

(被告らの主張)

一二月一四日に頸管縫縮術をしても、無事に出産できた可能性は極めて低く、いったん胎胞が膣内に出た以上感染症等に罹患している可能性が高く、健康な子が得られる可能性は低いばかりか、母体にまで危険が及ぶ可能性もある。

7  一二月一四日の説明義務違反

(原告らの主張)

日赤医療センター産婦人科担当の医師らは、一二月一四日原告春子に対し頸管縫縮術をすれば無事に出産できる旨説明すべき義務があったにもかかわらず、その説明をしなかった。

(被告らの主張)

前記6の被告らの主張と同じ

第三  当裁判所の判断

一  証拠(甲一、二九、三一、乙一、二、七、八、一二〜一七、証人雨森良彦〔以下、証拠方法としても「雨森医師」という。〕、証人吉田吉信〔以下、同様に「吉田医師」という。〕、原告春子、被告浦野)によれば、以下の事実(一部争いのない事実を含む。)を認めることができる。

1  原告春子は、昭和六〇年一〇月二一日広島市から実家のある東京都まで新幹線で一人で帰省し、陣痛も含めて特に異常を感じていなかったが、翌二二日(妊娠三〇週)午前出産前の妊婦検診のため日赤医療センター産婦人科を受診した。原告春子は、雨森医師の内診を受けたところ、頸管が三センチメートル開大していたことから切迫早産との診断を受けて入院を勧められ、即日入院した。

同日の診断は、頸管の短縮の度合い(以下「展退度」という。最短一〇〇パーセントとする。)七〇パーセント、硬度は軟、児頭下降度(胎児の先進部の位置)マイナス3、胎胞は膨隆(以下「胎胞の膨隆」とか「胎胞の形成」ということがある。)していないというものであり、分娩監視装置によってごく軽微な規則的な子宮収縮が認められた。

原告春子は、同月二八日(妊娠三一週)の内診で子宮頸管が四センチメートル開大と診断されたことがあったが、薬物投与や頸管縫縮術を実施せず、トイレ・シャワーは可、病棟内自由という安静療法により軽快し、同年一一月四日退院した。入院後分娩監視装置による検査が数日おきに行われたが、子宮収縮はほとんどみられなかった。

2  原告春子は、退院後は自宅で安静に過ごし、昭和六〇年一一月一九日(妊娠三四週)、一二月三日(妊娠三六週)、同月一〇日(妊娠三七週)にそれぞれ妊婦検診を受けた。分娩予定日は同月二六日であった。

原告春子は、同月一五日(妊娠三八週)午前八時ころ腹部にパンと風船が割れるような音を感じて目が覚めると破水しており、約二分間歇で陣痛(子宮収縮)を感じたため、同八時三五分日赤医療センターに入院した。原告春子は午前八時ころからの二分間歇の子宮収縮以前には子宮収縮を自覚しなかった。原告春子は、同日午前九時三三分二九四二グラムの男児を分娩し、同九時三八分後産を娩出した。原告春子は同月二二日退院し、第一子は無事に成育した。このときの退院許可証には「早期破水、自然分娩、第Ⅱ度会陰裂傷、臍帯真結節」と記載され、頸管無力症に関する記載はない。

3  原告春子は、九月一日日赤医療センターにおいて被告浦野の診察(内診を含む)を受け、妊娠六週、分娩予定日昭和六四年(平成元年)四月二二日と診断された。

原告春子は、九月二九日に被告浦野に二回目の診察を受け、内診を受けた。このときは頸管の開大は見られず、正常であった。

原告春子は、一〇月二七日(妊娠一四週)三回目の診察を受けた際、被告浦野に対し、第一子出産のとき妊娠八か月で子宮口が三センチメートル開いて二週間余り入院した旨話した。被告浦野は、原告春子の外来カルテ(第一子切迫早産の際の退院許可証と第一子出産の際の退院許可証の写しが添付されているが、その外の入院時のカルテは添付されていない。乙一の1〜7頁。以下「外来カルテ」という。)を見て、一〇月二一日に広島から上京して二二日に内診を受けたところ、頸管が三センチメートル開大していたため切迫早産で入院を勧められ入院し、安静により軽快して約二週間後退院したことを知り、原告春子に対し、予定日と生まれた日を聞いた。被告浦野は、原告春子が入院前日広島から上京していること、入院安静で軽快しその後満期産であったことから、旅行が原因で切迫早産になったのでその程度も軽いものであると考え、内診はせず、原告春子に対し、もっと後になってから内診する旨告げ、次回は一一月二五日に来院するよう指示した。

日赤医療センターでは、入院カルテは外来カルテとは別に保管しており、退院許可証の写しのみ外来カルテに添付されている。担当医が請求すれば入院カルテも閲覧できるが、被告浦野は、原告春子の第一子の切迫早産の入院カルテ(乙七)や出産時の入院カルテ(乙八)は閲覧しなかった。

被告浦野は、一一月二五日(妊娠一八週)に四回目の診察を行い、内診はせず、次の診察予定日は一二月一五日になっていた。

4  原告春子は、一二月一三日(妊娠二一週)午後五時ころ茶褐色の淡血性おりものがあったので、横になって安静にしていた。原告春子は、翌一四日になっても淡血性おりものが止らないので、午前一一時三〇分ころ日赤医療センターを受診し、福田医師が内診したところ頸管が四センチメートル開大し胎胞が突出していた。子宮収縮と破水は見られず体温は三七度であった。

福田医師は、原告太郎に対し、頸管が四センチメートル開大し、その中からボール状に胎胞が突出していること、頸管縫縮術は妊娠一〇〜一五週に行うものであることを説明した。

千歳医師は、原告太郎に対し、胎児を出すか、頸管縫縮術をするか、経過観察するかの三つの選択肢があること、胎胞が膣内に出ておらず頸管開大が三センチメートル以内であれば頸管縫縮術の成功の可能性は高いが、原告春子の場合胎胞が出ていることから成功が難しいこと、胎胞が膣内に出た以上感染していると思わなくてはいけないこと、感染しているものを子宮内に押し込んで頸管縫縮術をすると子宮内感染、DIC(血液凝固障害)、母体死亡の可能性がある旨説明した。

同月一五日八時四〇分BTB試験紙に一部青変が見られ破水の疑いがあった。同日朝、雨森医師は、原告太郎に対し、頸管縫縮術が成功する可能性は低いし、無理して頸管縫縮術をして障害を持つかもしれない子供を作ることは悲劇であるから、仮に自分の親戚なら諦めなさいというであろう、胎胞を押し込んで頸管縫縮術をすると子宮内感染、DIC、母体死亡の可能性がある旨説明をした。

5  原告春子は一二月一七日第二子(四七〇グラム)を流産し、同月一九日退院した。

6  その後、原告春子は第三子を妊娠し、平成三年五月一六日(妊娠八週)子宮出血、切迫流産の診断により同月二五日まで葛飾赤十字産院に入院し、退院時には外子宮口に一指、内子宮口に指尖の開大があった。右所見及び日赤医療センターで次回は必ずシロッカー術をしてもらいなさいと言われた旨の原告春子の希望により、原告春子は、同月六月二〇日同院でマクドナルド術を受け、同年一二月三日(三七週五日)女児(以下「第三子」という。)を出産した。第三子出産の際、子宮収縮を自覚してから分娩までの時間は一時間五一分であった。

二 争点1(第一子切迫早産入院の際のカルテ記載義務違反)について

1  前示一1のとおり、原告春子は、妊娠三〇週で何ら子宮収縮を自覚しなかったが、頸管が三センチメートル開大していたため入院し、二週間の入院中は頸管縫縮術や薬剤投与はなく安静のみで過ごし、胎胞の膨隆・破水もなく推移し軽快したため退院した。原告らは、原告春子の主治医であった雨森医師は、右退院時には頸管無力症を疑うべきであり、その疑いがあることをカルテや退院許可証に記載すべきであった旨主張するので、まず、産婦人科医の臨床医学における一般的知見として頸管無力症の疑いを持つべき症状(定義)がいかなるものかについて検討する。

2  甲二、三、七、八、一一〜一三、一七〜一九、二二の1、二三〜二七、三一、三二、乙三、六、一二、一三、一八、二〇、鑑定人我妻堯の鑑定結果(以下「我妻鑑定」という。)、雨森医師、吉田医師、鑑定人我妻堯(以下「我妻医師」という。)、証人金岡勉(以下、証拠方法としても「金岡医師」という。)、被告浦野の各供述を総合すると、頸管無力症とは、子宮頸管がその器質的ないし機能的欠陥のため妊娠を継続する能力がない病態をいい、主として妊娠一四週ころから二七週ころの間に、子宮収縮・性器出血等の自覚的症状を伴わないのに、子宮頸管が開大し、胎胞の膨隆や破水が見られ、適切な治療を行わないと早流産を起こすものをいうと考えられる。

3  本件では、妊娠後期(妊娠三〇週)の頸管の開大が問題となっているので、まず、頸管無力症の症状の発生時期について検討する。

この点に関し、我妻医師は妊娠二三週まで発症しなかったら頸管無力症の症状ではなく、まして妊娠後期に当たる妊娠二七週以降の頸管の開大と頸管無力症は無関係であるとする。また、文献的にも、妊娠二八週未満とするもの(乙三)、定義に単に妊娠中期(妊娠第2三半期)の発症のみ挙げるもの(甲二四、二七、甲三一の添付資料11)、妊娠第2三半期に発症し、生存できないほど未熟な胎児が娩出されるのが特徴であるとするもの(甲三一の添付資料8、10)、頸管無力症による流産は妊娠五〜六か月に多いとするもの(甲三)、ほとんどが妊娠中期に発症するとするもの(甲七)、妊娠二〇週以後とするもの(甲三二)がある。そして、甲三一、乙六によれば、我が国で妊娠の期間を三分して呼称する場合に、論者によって若干の違いがあるが、概ね最終月経から一六週ころまでを妊娠初期、妊娠一六週から二七週ころまでを妊娠中期、妊娠二七週ころから四〇週ころ(出産)までを妊娠後期とするものと考えられる。また、我妻鑑定、甲三一、乙六によれば、欧米では妊娠初期を一三週未満まで、妊娠中期を二七週未満までと分ける考え方が一般的であると考えられる(以下、前記の我が国の一般的な定義によると思われるときは妊娠初期、中期、後期と記載し、欧米の一般的な定義によると思われるときは妊娠第1三半期、第2三半期、第3三半期と記載することとする。そして、本件では妊娠中期の開始時期〔妊娠初期の終期〕をどこにおくかにさほどの意義が認められないことから、特に欧米の定義によると断っていない場合又は妊娠後期の開始時期を明らかに前記定義と異なる時期におくと明言する以外の場合は、前記の我が国の一般的な定義によっているものと考えることとする。)。

また、我妻医師は、第2三半期と第3三半期の頸管が全く異なる状態であって、その開大の機序が異なると考えられることの説明として、妊娠中に卵胞ホルモンの影響を受けて次第に軟らかくなっていた頸管が、第3三半期初めころすなわち妊娠二七週の初めころから徐々に、頸管組織を構成するコラーゲンを分解する酵素の増加等が起こることにより、頸管組織が軟化して子宮内部からの圧迫を受けると開大しやすい状態となる(この現象を頸管の熟化という。)からであるとしている。そして、この第3三半期に起きる頸管の熟化の進行は極めて個人差が著しいとも指摘している。

一方、雨森医師は、妊娠中期を妊娠一二週から三四週とした上で、頸管無力症の発症時期を妊娠中期以降(ときに三七週以降に至って発症することがある。)とし、甲一三(吉田医師意見書)も中期以後を含むとし、金岡医師、甲三一は妊娠一四週から妊娠三三週ころまでに発症するとし、乙二〇(竹内久彌医師〔以下「竹内医師」という。〕意見書)では、妊娠第2三半期又は第3三半期初めには症状が現われるとしている。また、文献には、頸管無力症の発症を妊娠中期以降(又は妊娠一二週以降)と記載し妊娠後期を除外していないもの(甲三、七、八、一一、一二、一九、二三、三一の添付資料1、2)、妊娠中・末期とするもの(甲三一の添付資料3、4、7)、妊娠第2三半期又は妊娠第3三半期の初めに発症するとするもの(甲三一の添付資料9。ただし、非常に未熟で常に死亡するような胎児が娩出するとも記載されている。)、妊娠第2三半期又はおそらく妊娠第3三半期の初めとするもの(甲三一の添付資料12)がある。

これらの供述及び記述を総合すると、一般的には頸管の熟化が起こる以前の時期であって正常であれば頸管の開大が最もあり得ないとされる妊娠二七週ころまでの時期に起こる頸管の開大が、頸管無力症の症状としての頸管の開大として典型的とされているが、頸管の熟化現象の進行に個人差が著しいことから、妊娠二七週以降の開大であっても頸管無力症の症状としての開大である可能性は残されており、妊娠後期・妊娠第3三半期の初めまでの頸管の開大に関しては頸管無力症の症状としての頸管の開大であると考えるべき場合もあるとするのが、臨床医学の水準における産婦人科医の考え方であると認められる。

4  次に、原告春子には、頸管の開大が認められた際、自覚的には子宮収縮はないが分娩監視装置によって弱い子宮収縮が認められているので、子宮収縮ないし陣痛を自覚しないが他覚的には弱い子宮収縮を伴うと認められる場合にも、頸管無力症による頸管の開大と疑うべきかについて検討する。

この点に関し、甲一一(雨森医師の論文)には、中期早流産は子宮収縮が先行する化学的なものと物理的に頸管が脆弱で既に開大しているタイプとに二分されるとし、子宮収縮がなくとも開大子宮口から胎胞が膨隆するものが頸管無力症としている。また、我妻医師によれば、子宮収縮が全くないのに頸管の開大、胎胞の膨隆、破水をするものが頸管無力症であるとし、出血が先行するなど破水で始まらないものは、この定義に当てはまらないから頸管無力症とは診断できないとしている。また、流産の既往から頸管無力症を診断する指針として、破水が先行する形式であったか否かに注意すべきであるとするもの(甲二、七)もある。

他方、文献的には、下腹痛や不正出血がほとんどないにもかかわらず頸管が開大するとするもの(甲三)、出血や規則的な陣痛様の子宮収縮を欠くのが特徴であり、不規則な軽い子宮収縮や腹部緊満感がある場合もあるとするもの(甲七)、一般的な流産兆候である性器出血や腹痛を伴わないのが特徴とするもの(甲八、二三、二四)、自覚症状を伴わない、規則的な子宮収縮を欠くとするもの(甲二、一七)、自覚する子宮収縮も性器出血もなく頸管が開大するとするもの(甲一九)、何も限定がないもの(甲二五)、明らかな子宮収縮がないのに頸管が開大するとするもの(甲二六)、さしたる自覚症状もなく頸管が開大するとするもの(甲二七、三一の添付資料1)、突然頸管が開大するとするもの(甲三二)、腹痛(子宮収縮)や性器出血などの自覚症状を伴わないとするもの(甲三一の添付資料2)、陣痛の自覚のないまま頸管が開大するとするもの(甲三一の添付資料7)、無痛性の開大がそれであるとするもの(甲三一の添付資料9、10、11、12)など、自覚的な症状のないことを定義に用いるものが多数存在する。

したがって、子宮収縮を原因とする切迫早産と区別する意味で、子宮収縮がないにもかかわらず頸管が開大するものが頸管無力症であると定義され、子宮収縮が認められるときは頸管無力症を否定する一つの要素となるが、頸管無力症の妊婦には開大後に自覚のないごく軽微な子宮収縮が認められる場合もあるとされていること、子宮収縮が頸管の開大に先行したか否か自覚症状がない以上知り得ないことから、自覚しない軽微な子宮収縮(開大の原因となり得るか疑わしい程度に軽微な子宮収縮)がある場合でも頸管無力症を一概に否定すべきではないというのが一般的な産婦人科医の知見であると考えられる。

5  次に原告春子は、頸管が三センチメートル開大した後、頸管縫縮術や薬剤投与がなく約二週間の入院安静のみで軽快しているので、このような場合、特に入院安静のみで頸管の開大に引き続く胎胞の膨隆や破水を伴わない場合に、頸管無力症の疑いを持つべきかについて検討する。

我妻医師は、頸管が開大したが約六週間弱の間妊娠を継続した場合は頸管無力症ではなく、頸管無力症の妊婦は頸管縫縮術(殊にシロッカー術)をしないと流産に終わるとする(我妻医師、我妻鑑定)。また、乙二〇(竹内医師意見書)は、積極的な予防措置(頸管縫縮術)が採られないのに破水や早流産にならないときは頸管無力症ではないとする。

また、乙二〇の添付資料3には、妊娠第3三半期早期に無自覚に内子宮口が開大している者は経産婦、初産婦とも珍しくないこと、開大した者と開大のない者とで早産率に有意な違いを認めないことが報告され、我妻医師も妊娠後期の初めに頸管が開大していて異常がない妊婦はざらである旨供述している。

また、頸管無力症の症状として、頸管開大と引き続く胎胞形成があるとするもの(甲二、三)、内子宮口一指通過(開大二センチメートル以上)の開大と引き続く胎胞形成が特徴とするもの(甲七)、一指以上の内子宮口の開大とそれに伴う胎胞の形成があれば頸管縫縮術の適応となり、適切な治療を行わないと速やかに早流産となるとするもの(甲二四)、適切な治療がされないと妊娠ごとに繰り返すとするもの(甲三一の添付資料12)、切迫早産治療後にも症状が継続しているものに手術適応があるとするもの(乙三)、外に甲八、一二、一七〜一九、二七、甲三一の添付資料1、3、4、7〜11、三二にも頸管無力症の症状として、頸管の開大のみではなく適切な治療がないときは続いて胎胞の膨隆(さらには破水)が起きる旨の記載があり、頸管の開大のみを頸管無力症の症状として記載している甲二五、二六、三一の添付資料2、乙六を除くと、ほとんどが胎胞の膨隆、破水などの症状の進行が引き続く旨記載されている(なお、金岡医師の著作である甲三一の添付資料14には、妊娠中期以降に子宮収縮や出血がないのに子宮頸管部の展退・頸管の開大があるときは頸管縫縮術の適応がある旨の記載があるが、三〇週以降の頸部展退のない頸管開大は臨床的意義がやや少ないとも記載されており、本件でも手術の適応となるわけではない。また、甲一六の1(吉田医師書簡)には、甲一七には頸管の開大のみで頸管無力症の疑いがあると記載されているとの指摘があるが、甲一七には頸管無力症の定義として頸管の開大に引き続く胎胞の膨隆がある旨の記載もあるから、経過観察して胎胞の膨隆が引き続いて起こらず頸管の開大のみにとどまる場合を含む趣旨ではないと解される。)。そして、2の冒頭に掲げた書証及び我妻医師の供述を総合すると、右の文献が記載された当時は、頸管無力症に対する根本的治療は頸管縫縮術によるとされていたことが認められる(甲三二には投薬で満期産に至ったとする例が挙げられているが、一例のみについての記述である。)。

したがって、頸管無力症の病態は、シロッカー術やマクドナルド術等の頸管縫縮術をしないと頸管の開大に引き続いて胎胞の膨隆が起き破水に至るものであり、頸管縫縮術をせず安静のみで二週間症状が進行しない場合には頸管無力症ではないとするのが産婦人科の臨床医学の医療水準における見解であったというべきである。

この点、規則正しい子宮収縮がないのに頸管が開大してしまえば、その後引続いて胎胞の膨隆や破水がなくても頸管無力症であるとし、その理由として、妊娠後期になって胎児がある程度大きくなっているときは、児頭と子宮壁が密着するため羊水が児頭先端より下方へ進まず胎胞の膨隆や破水を防ぐからである旨の記載がある甲二二の1(吉田医師意見書)があるが、妊娠中に母体が動いたりすることで児頭の位置は変化し子宮壁に密着して動かないことなどありえない、分娩が開始して児頭が頸管に下がってきたときでも羊水が透き間から流れ落ちることがあるくらいである旨の我妻医師の供述、同旨の金岡医師の供述、乙二〇(竹内医師意見書)に照らして採用できない。

また、金岡医師は、入院安静は夫から引き離し性交を避けるという重要な意義を持つから、入院安静によって頸管の開大と胎胞の膨隆のみに終わり破水を避けられた場合でも頸管無力症の疑いを持つべきである旨供述し、甲三一(金岡医師意見書)にも同旨の記述があるが、金岡医師は、胎胞の膨隆が認められたことを前提として右見解を述べていることが甲三一の記載から認められるところ、乙七によれば、入院七日目の昭和六〇年一〇月二八日「DO4cm開大しています!!胎胞(+)」との記載があるが、胎胞の膨隆を認めた旨の雨森医師の供述はなく、積極的治療は行われないままにその後は「胎胞(+)」の記載がなく退院に至っていることから、胎胞の膨隆があったものとは認められない。そうすると、金岡医師の意見は判断の前提を欠き本件には妥当しないものと考えられる。また、金岡医師は従来入院安静のみで軽快し満期産に至る頸管無力症の妊婦が多数いたと供述するが、頸管が開大した妊婦で満期産に至った者のうち、頸管無力症が原因で頸管が開大した者とそれ以外の理由で頸管が開大した者(子宮収縮が原因で頸管が開大した者)とをどのように区別したのか右供述からは不明である上、右供述を裏付ける文献もないから、採用できない。

6 以上の検討によると、頸管無力症の疑いを持つべき症状とは、主として妊娠一四週ころから二七週ころの間、少なくとも妊娠第3三半期初めまでに、子宮収縮・性器出血等の自覚的症状を伴わないのに、頸管が開大し、胎胞の膨隆や破水が見られ、頸管縫縮術を行わないと早流産を繰り返す状態をいうものと考えられる。

原告春子は約二週間の入院安静のみによって頸管の開大に続く胎胞の膨隆や破水などが起こらずに軽快していること、原告春子の頸管の開大が発見されたのが妊娠三〇週であり頸管無力症による頸管の開大が典型的に起こる妊娠中期ではないこと、原告春子の入院当日や入院直後に軽微な子宮収縮が認められていること、原告春子は入院の前日に広島から上京していることを総合すると、原告春子の頸管の開大は、専ら直前の旅行等が原因で子宮収縮が先行して起き、熟化が進行した頸管が開大したという切迫早産の症状であって、この時点で原告春子には頸管無力症の疑いはないと認めるのが相当である。

また、原告らは、原告春子が入院後に規則的な子宮収縮がないのに三センチメートルから四センチメートルに頸管の開大が進んだことが頸管無力症の疑いをもたらす旨主張し、甲一三(吉田医師意見書)に右主張に沿う意見の記載があるが、前記のように、頸管の開大のみにとどまりその後一週間のうちに症状の進行がなく、胎胞の膨隆が見られず軽快しているものは疑いを抱くべき場合に当たらないというべきであるから採用できない。

したがって、争点1についての原告らの主張は理由がない。

三 争点2(第一子分娩の際のカルテ記載義務違反)について

1  原告らは、第一子妊娠中の切迫早産の入院経過に加えて、第一子出産のときの分娩時間が約一時間三〇分と短かかったことから、頸管無力症を疑うべきであった旨主張する。

そこで検討するに、乙四、九によれば、通常分娩時間を三分する場合には、第一期を分娩開始から子宮口全開大とし、第二期を子宮口全開大から胎児娩出とし、第三期を胎児娩出から胎盤娩出とし、分娩開始は日本産科婦人科学会産科諸定義委員会の定義では「周期的かつ次第に増強して分娩(胎児娩出)まで持続する陣痛が開始した場合に、周期が約一〇分以内(頻度が一時間六回以上)になった時点を臨床的分娩開始の時期とする。」とされている。そして、乙八、九によれば、通常初産婦は第一期は一〇〜一二時間、第二期は二〜三時間、第三期は一五〜三〇分かかるものとされている。前示一2のとおり、第一子出産の際、原告春子は胎児娩出の約一時間三〇分前に破水感とともに約二分間歇の陣痛を自覚したというから、分娩開始(陣痛自覚)から胎児娩出までが約一時間三〇分という経過であった。

しかし、前示二3のとおり、妊娠後期には頸管の熟化が進行し、とりわけ妊娠後期終わりころの頸管はより開大しやすくなるのが常態であって、妊娠後期の終わりころの頸管の開き易さと頸管無力症の症状とを関連付ける考え方は一般的ではないというべきである(我妻鑑定、我妻医師、金岡医師、乙二〇)。文献的にも、比較的陣痛がないのに急速な分娩によって未熟児を出産した場合には頸管無力症の憶測的な診断がされる(甲三一の添付資料10)とか、前回妊娠歴で未熟児を短時間の陣痛で出産する場合が特徴的である(甲三一の添付資料11)とかの記述があるが、満期産例の記述はなく、外にも二2の冒頭に掲げた書証の中に満期産の分娩時間の短さが頸管無力症の症状とする記述はない。

むしろ、第一子出産後の退院時には、前示二5、6で検討したとおり、切迫早産の入院後二週間のみならず、その後四週間経過して三八週の満期産に至っていることから、頸管無力症を疑うべき病態でないことが更に明らかになったというべきである。

したがって、この点についての原告らの主張は理由がない。

2  なお、雨森医師は初産なのに陣痛を自覚してから約一時間三〇分で分娩しているのは頸管無力症に間違いないとし、吉田医師は、いきなり第二期が開始しているのは頸管無力症を疑うべき典型的な症状である、陣痛発来したときには既に頸管は頸管無力症のため最大に開大していたから、陣痛を自覚してから中期の一般的な所要時間である一時間三〇分後に胎児が娩出したのであるとしている。

しかしながら、吉田医師の意見の前提である原告春子が陣痛を自覚したときに子宮口が全開であったのか(すなわち第二期がいつ開始したのか)は不明という外はないし、子宮収縮を感じる閾値が低いためいきなり二分間歇の陣痛を自覚する妊婦も少なくないものとされていること(我妻医師)から、採用できない。

また、原告らは、金岡医師が吉田医師の右意見について妥当である旨述べていることを理由に、右吉田医師の見解を正当と主張する。しかし、金岡医師は、鑑定人金岡医師の鑑定結果(以下「金岡鑑定」という。)において分娩時間の短縮は良好な頸管の熟化によるもので頸管無力症を疑うべき場合ではないとし、尋問においても右意見を変えるものではない旨述べているのであるから、原告らの主張は採用できない。

四 争点3(一〇月二七日以降の頻回内診義務違反)について

1  原告らは、被告浦野は、原告春子から第一子妊娠中切迫早産で入院したことを聞いたのだから、更に問診を行い入院カルテを見て、第一子の切迫早産や出産の経過から頸管無力症を疑い、以後一週間に一回の割合で内診すべきであったのに、これを怠った過失がある旨主張するが、前示二、三のとおり、第一子の切迫早産や出産の経過において原告春子に頸管無力症の疑いを持つべき症状はない。

2  そして、甲三一、三一の添付資料14、乙三、五、六、一三、我妻医師によれば、産婦人科の臨床における医療水準としては、妊婦に卵巣腫瘍や双胎などの異常がない場合には、妊娠中期(妊娠第2三半期)の内診の必要性は低く、行う必要はないとされていることが認められる。この点、雨森医師や吉田医師は妊娠中期に異常がなくても妊婦検診ごとに内診すべきである旨述べているが、一週間に一回内診すべきであるとは述べていない。

したがって、頸管無力症の疑いのない原告春子に対し、一週間に一回内診すべき義務があるとは認められないから、この点についての原告らの主張は理由がない。

五 争点4(昭和六三年一〇月二七日から同年一一月二五日ころまでの間の予防的選択的頸管縫縮術実施義務違反)について

1  原告らは、被告浦野は、原告春子から第一子妊娠中切迫早産で入院したことを聞いたのだから、更に問診を行い入院カルテを見て、第一子の切迫早産や出産の経過から頸管無力症を疑い、同年一一月二五日ころまでに予防的選択的頸管縫縮術を実施すべき義務があった旨主張する。

2  しかし、前示二、三のとおり、原告春子の第一子の切迫早産や出産の経過には頸管無力症の疑いを持つべき症状はない。そして、甲二四、我妻鑑定、金岡鑑定によれば、シロッカー術とは膀胱を剥離して内子宮口に近い部位で頸管をテフロンテープなどで縫縮する手術であり、マクドナルド術とは頸管の子宮膣部に近い部位で子宮頸部前壁から縫合糸を子宮口よりの子宮筋層に達するよう四か所で刺入し全周にわたり輪状に縫い縮める手術であって、いずれも産婦人科における外科手術としては著しく困難なものとはされていないが、侵襲を伴うものであることは明らかである。したがって、その手術適応は予防的にせよ頸管無力症の疑いがあるものに限定されるべきであり、右疑いのない原告春子に対し頸管縫縮術を行わなかった被告浦野に注意義務違反はないものというべきである。

この点、原告らは乙二〇(竹内医師意見書)の予防的選択的頸管縫縮術に関する記述を原告ら主張の根拠として挙げるが、右記述は頸管無力症の疑いがある場合に効果的な治療法として何をすべきかについての記述であり、右疑いがない場合には妥当しない。

したがって、この点についての原告らの主張は理由がない。

六 争点5(一〇月二七日又は一一月二五日の原告春子への警告義務違反)について

原告らは被告浦野は、第一子の切迫早産や出産の経過から頸管無力症を疑い、原告春子に対し、頸管無力症の疑いのあることを告げ、出血などの異常があった場合には直ちに連絡して受診するよう指導助言すべき義務がある旨主張する。

しかし、前示二、三のとおり、原告春子の第一子の切迫早産や出産の経過には頸管無力症の疑いを持つべき症状はないから、この点についての原告らの主張は理由がない。

七 争点6(一二月一四日の頸管縫縮術実施義務違反)

1  原告らは、担当医師らは、一二月一四日原告春子に対し頸管縫縮術をすれば無事に出産できたにもかかわらず、頸管縫縮術をしなかった過失がある旨主張する。

2  金岡鑑定によれば、以下の事実が認められる。

頸管の開大が四センチメートルあり、胎胞が膨隆した状態で、胎胞を子宮へ押し込んで頸管縫縮術をした場合に、死産であった可能性は約五〇パーセントであり、妊娠三七週以後の出産(満期産)で出生体重二五〇〇グラム以上の子(成熟児)が得られた可能性は約一〇パーセント(全体の五パーセント)であった。そして、生産であった場合でも、生産の場合を母数(一〇〇パーセント)として、出生体重一五〇〇グラム以上二五〇〇グラム未満の子(低出生体重児。妊娠三一週から三七週未満の出産で得られるとされる。)であった可能性は約三〇パーセント、出生体重一〇〇〇グラム以上一五〇〇グラム未満の子(極小未熟児。妊娠二八週から三一週の出産で得られるとされる。)であった可能性は約三〇パーセント、出生体重一〇〇〇グラム未満の子(超未熟児。妊娠二八週未満の出産で得られるとされる。)であった可能性は約二〇パーセントであった。そして、妊娠二八週未満の超未熟児には、昭和六三年当時、死産が約四〇パーセント、新生児死亡が約二〇パーセントあり、死産と新生児死亡を合わせた死亡(周産期死亡)率が約六〇パーセント以上あるものとされていた。さらに、その後の研究によると、超未熟児で周産期死亡を免れた者のうち一〇〜二〇パーセント(超未熟児の出産全体の四〜八パーセント)に脳性麻痺、精神運動発達遅延等の重度の障害を含む心身障害が発症する可能性があることが報告されている。また、胎胞が膨隆してから頸管縫縮術を実施すると三〇パーセント以上の割合で、母体に絨毛膜羊膜炎が発生した可能性がある。

また、乙二〇(竹内医師意見書)にも胎胞が形成されてからの頸管縫縮術(緊急頸管縫縮術)は失敗する可能性が高いとの記載がある。

したがって、金岡鑑定及び乙二〇によれば、頸管が四センチメートル開大し、胎胞が膨隆した一二月一四日の時点で頸管縫縮術を実施しても、死産の可能性が高い上、満期産で生まれる可能性は極めて低く、超未熟児で出生したことにより重度の身体障害を持って生まれる危険性(超未熟児で生まれた場合のうち約四〜八パーセント)も全体としてはわずかにせよ否定できないことが認められる。

この点、原告らは、我妻医師が、一二月一四日に胎胞が出ている状態でもマクドナルド術を実施すべきであった、術中に卵膜を傷つけて破水したり、実施後に破水したりして失敗する可能性は少なくないが、母体感染が起きたり障害を持った子が生まれた経験はない旨述べたことを原告ら主張の根拠とするが、我妻医師も失敗に終わる(すなわち死産に終わる)ことが多いことは認めていることに照らし、採用できない。

3 そうすると、日赤医療センターの担当医師らに、一二月一四日頸管縫縮術をすべき義務があったとはいえず、これをしなかったことに過失はないというべきである。

八 争点7(一二月一四日の説明義務違反)

前示七2のとおり、一二月一四日の時点で頸管縫縮術を実施しても、死産の可能性が高い上、満期産で生まれる可能性は極めて低く、超未熟児で出生したことにより重度の身体障害を持って生まれる危険性もあることが認められるから、一二月一四日の時点では、むしろ頸管縫縮術をすれば無事に出産できると説明すべきではなく、前記一4のとおりの説明をした日赤医療センターの担当医師らに注意義務違反はない。

したがって、原告らの主張は理由がない。

九  以上の次第であるから、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官石川善則 裁判官小野洋一 裁判官伊藤由紀子)

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